岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

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「産めることは幸せ」の不幸

幸福を手に入れた感動的な気持ちをネットで文章で爆発させる事で、お前は大勢のそれを得られない人々を無気力にさせているんだよ。そしてお前の記事をブクマするような人間は、子供の弁当写真を撮って毎日ブログに載せる暇な専業主婦がほとんどだ。反省出来たら二度とネットで子供を作る喜びを語るな、お前が喜びを語るほどに過去の虐待被害者が耳を塞がねばならないし、子供の産めない女は先を越されたとモチベーションが萎えるだけだ。お前らの無邪気な文章は、人殺しなんだよ。

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2

子供の産めない女性が「産めることは幸せ」と考えているとしたら、不幸なことだ。「産めることは幸せ」という考えに縛られていなければ、「無邪気な文章」に気力を失うこともないだろうに。

私は女性ではないので(ホントだよ)、女性において「産めることは幸せ」という考えに縛られないでいることが可能かどうかはわからない。ただ、子供の産めない女性が「産めることは幸せ」と考えているとしたら、不幸なことだとは思う。

追記(2007-11-10)

上記の記事は言葉足らずだった。「産めることは幸せ」と思っていながら子供を産めず、かつ「無邪気な文章」に気力を失わない女性もいるだろうから。

不幸なのは、「産めることは究極の幸せ」と考えている子供の産めない女性だ。「そばを食えることは究極の幸せ」と考えているそばアレルギーの人が不幸なのと同様に。

実現不可能な欲望にとらわれているより、いっそ諦めたほうが楽になるのではないか。そばアレルギーの人は、きっとそうしていると思う。

あるいは、その幸せが本当に究極の幸せなのか問い直してみるとか。「子供を産んでも不幸そうにみえる女性もいるな。怪しげな宗教に入信する人とか。出産が究極の幸せならば、なぜ彼らは別の幸せを求めるのだろうか」というように。

あれ、追記のほうが長かったな。

追記その2(2007-11-10)

hashigotanさんからの突っ込みに今気づいた。

つーか、あんた女じゃないくせに何で女の気持ちなんか分かるのさ?幸せの意味を履き違えてないかい?

http://b.hatena.ne.jp/hashigotan/20071110#bookmark-6453086

私はこの記事で「私は女の気持ちが分かります」と主張したつもりはありません。逆に「私は女性ではないので(中略)わからない」と書いています。

また「幸せの意味を履き違えてないかい?」といわれるなら具体的に幸せの意味を教えていただけるとありがたいのですが、これは糞ブロガーの単なるお願いということで。

なお、私は(種無しでないとすれば、あるいは母体が許せば)子供を作れますが、子供がほしいと思ったことは生まれてこのかた一度もありません。そのことが誇らしいとか恥ずかしいとかではなくて、本当にないのです。この世に残すべき「血」が私ごときにあるとも思えませんし。

そんな私ですが、「無邪気な文章」に気力を失った経験はありません。あ、もともと気力がないからか。