岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

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議論について

過日の炎上(というのが適切かどうか知らないが)の際、私の議論の「仕方」に問題があるのなら正さねばならないと思い、後日読んだのがこの本だ。

絶対困らない議論の方法―なぜ、「へ理屈」が大切なのか (知的生きかた文庫)

絶対困らない議論の方法―なぜ、「へ理屈」が大切なのか (知的生きかた文庫)

手元にないので正確な引用ができず申し訳ないが、著者の小野田氏は議論をチェスになぞらえていた。「議論とは知的ゲームの一つ」ということである。

この定義を読み、私は即座に「知的ゲームとしての議論」から足を洗おうと思った。チェスが好きな人には悪いが、その程度のものなら年老いてからで充分だと思ったのだ。

もちろん、議論の中には「知的ゲームの一つ」という定義がふさわしくないものもあるだろう。意思決定のための議論などがそれだ。しかし「朝まで生テレビ」のような、してもしなくても同じような議論は、非生産的という意味で、やはりゲームと呼ぶのがふさわしいのではないか。

ゲームにはルールがあり、各参加者がそれを守って初めて楽しめる。チェスのルールを知らない人や、ルールを守らない人を相手にチェスをしても楽しめないだろう。

議論ゲームだって同じはずだ。たとえば、意見と人格を混同しての人格に対する侮辱表現は、非論理的であるがゆえに、議論のルールに反している(場合によっては法にも反する)。そのような表現を弄する人を相手に議論するのは、チェス盤で殴りかかってくる相手とチェスをするような、なんともむなしい行為なのではないか。

さて、過日の炎上に関して、私の議論の仕方に問題がなかったかといえば、大ありだったと認めなければならない。議論のルールに反していたのだ。たとえば「ブログに大学名を書くのは自由だ」という主張については、なぜ自由なのか明確な根拠を書くだけでよかった。怒りにまかせて余計なことを書きすぎてしまった。気分を害された方には申し訳ない。