岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

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強制されて珍走して楽しいか

調べでは、桜沢容疑者らは昨年12月16日午前1時ごろ、深谷市内の市営グラウンドで、暴走行為が消極的との理由で、無職少年(16)=深谷市=を逆さづりにして地面に投げ落とすなどの暴行を加え、全治約3カ月の重傷を負わせるなどした疑い。

仲間の少年逆さ吊りリンチ 暴走族女リーダーら逮捕(産経新聞) - Yahoo!ニュース

大怪我をした少年には気の毒だが、このニュース、珍走団に対してつねづね感じていた疑問を再認識させられ、興味深く思った。

そもそも珍走団は、ルールを破りたい人間の集まりのはずだ。それなのに、その珍走団が、交通法規よりも厳しいルール(暴走行為が消極的なら重傷を負わせる)を作り上げ、メンバーに課してしまう。これは一体どうした機序なのか。

本当にルールを破りたいなら、一人で走ればよいではないか。他のメンバーから強制された珍走のどこが楽しいのか。

追記(2008-04-16)

これは多分ちょっと違うと思う。彼らが破るルールは「大人達が作ったルール」で有って、すべてのルールを破りたいなんて、ある意味崇高な理想が有る訳ではないよ多分。

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080416/1208348768

なるほど。珍走団の規律を知っていながら珍走団に入りたがる人は、むしろルールに縛られるのが好きな人なのかもしれませんね。

ともかく、大人達のルールに(結果的にせよ)従わない者たちが集まったあげく、より苛烈なルールを作って自らを縛りつける姿は、私には(ある種の感動を伴う)喜劇のようにみえます。

「ホモ・ポリティクス」とか「自由からの逃走」とかいったキーワードが脳裏をかすめますが、教養も知能も足りないのでそれ以上論じられないのがもどかしいところ。