岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

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菅野よう子と私

リリースチェッカーがオレンジニュースに取り上げられ、それなりに利用されるようになった当時、どんなキーワードのRSSが購読されているか気になり、サーバのログを見ることがよくあった。

その中に「菅野よう子」というキーワードがあったのだが、たぶん声優だろうと思い、それ以上調べることはなかった。アニメにはほとんど興味がないのだ。

数年経ち、ふと「菅野よう子」の正体が気になったので調べると、なんと「てつ100%」のメンバーだったというではないか。

てつ100%がデビューしたのは、私が中学2年だった1986年のことだ。デビュー曲「TOKYO TACO BLUES」が格好よくて、すぐにファンになった。が、レコード屋のないド田舎では彼らのシングルを手に入れることはできず、私は札幌の高校に進学した。

札幌にはレコード屋が山ほどあり、彼らのアルバムを買うことができた。その頃には彼らのセカンドアルバムまで発売されていたので、どちらも入手した。カセットテープだった。

私の住まいは北海道大学の近くで、これは親が私を北大に入れようと思ってのことだったらしい。そんな期待など知らない私はまったく勉強せず、ゲームセンターに入りびたってはテトリスばかりしていた。カンストしても延々とやっていた。大学受験時には北大を受けられる学力はなかった。かわりに室蘭工業大学を受けて受かったのだが、あらゆる講義が阿呆らしく感じられ、すぐに退学した。

高校時分、住まいの近くにある北大で学園祭が催された。てつ100%のゲストライブもあった。私も徒歩で見に行き、青空の下、足でリズムをとりながら楽しんだように記憶している。まばらな観客の中、てつ100%のファンは私だけだったのかもしれない。

北海道大学の学園祭でてつ100%のライブを見た」という話がインターネット上に見当たらなかったので書いてみた。

追記(2008-05-27)

同行者によれば、当日は雨で、そのせいか私は熱を出し、翌日高校を休んだとのこと。適当なことばかり書いてすみません。記憶って美化されるんだねー。