『ボラット』とニコニコ大会議のストリーミング生中継は似ていると思った
英会話の先生に借りた映画『ボラット』のDVDを昨日見た。映画を見たらこの日記に感想を書くことに決めているのだが、なんだかうまく書けない気がしたので書かなかった。
さきほど、id:magoshinさんによる下記の記事を読んだ。
不謹慎な行為で笑うという点で『ボラット』とニコニコ大会議のストリーミング生中継は似ていると思った。
『ボラット』の主人公は、カザフスタンのテレビリポーターを騙って、アメリカを横断しながら、何も知らない周囲の人を苛立たせるような行為を続ける。ユダヤ人の作ったサンドイッチなんか食えるかとばかりに吐き出したり、フェミニストのおばさんに「笑えよババア」と言い放ったり、同行のプロデューサーと全裸で喧嘩しながらホテルのセレモニー会場になだれ込んだり、ディナーパーティーの場にデリヘル嬢を呼んだり、骨董屋で商品を壊しまくったり、全編悪趣味の嵐だ。
ロデオ大会のスピーチを任された主人公は、アメリカのイラク侵攻を褒め殺しするような内容のスピーチをし、アメリカ国歌のメロディに載せて「カザフスタンは世界一」であると歌う。当然、観客からはブーイングが起きる。アメリカも馬鹿にされているのだ。英会話の先生はアメリカ人なのだが、この映画がたいそう気に入っているようで、おもしろいおもしろいとベタ褒めしていた。そして、これを貸しても大丈夫だろうと踏んで、私に貸してくれたのだろう。
確かに、私は筒井康隆も読むし、悪趣味なものを毛嫌いしているわけではない。しかし『ボラット』の始めのほう、アメリカ出発前の部分は、正直見るに耐えなかった。カザフスタン人を、障害者を、女性を馬鹿にし、それで笑えというのか。そう思う一方で、「これで笑えない奴は頭が固い、センスがない、度量が狭い」と踏み絵を差し出されているような気分にもなった。これで笑えない俺は頭が固いんじゃないか。
アメリカに旅立ってからは、悪趣味の嵐であることには変わりないものの、少し笑える部分も出てきた。同行のプロデューサーに逃げられ一文無しになったり、前述のデリヘル嬢と恋仲になりそうになったりする部分には感動すら覚えた。
私がニコニコ大会議の会場にいたとして、スクリーンを横切る「ピザwww」「ハゲwww」「更年期www」といった悪趣味なコメントの嵐を目にしたら、黙って会場を後にしたかもしれない。いや、それとも他の観客の笑いにつられて笑ってしまっただろうか。どちらもありえる。が、できれば前者のような人間でありたい。
別に後者の人間を悪くいうつもりはない。私自身、後者だった可能性はかなりあるから。ただ、ごく個人的な願望をいえば、後者で「ありたい」と思う人には『ボラット』を見ても眉をひそめたりしないでほしい。『ボラット』の舞台がカザフスタンでもアメリカでもなく日本だったとしても、差別的に描かれるのがユダヤ人ではなく日本人だったとしても、ずっと笑っていてほしい。そうじゃないと――なんかがっかりしそうだから。