岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

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ブログのプロフィール欄に大学名を書くのは自由だし、芥川賞なんか簡単に取れると豪語するのも自由だ

私は他人のブログのプロフィール欄に大学名が書かれていても何とも思わないし、「芥川賞なんか簡単に取れる」と豪語している記事を読んでも微笑ましく思うだけだ。

しかし世の中には、上記リンク先のような記事を書かずにいられない人がいる。(私にとっては)取るに足らない出来事に(私にとっては)過剰な意味を見出してしまう人たち。

私は彼らに、はっきりいって怒りを覚えるのだが、彼らと議論したところで不毛なのは目に見えている。リンク先のような記事を書かずにいられないほど彼らが感情的になってしまったのは事実なのだから。「あげつらうような話じゃないんじゃないの?」という批判など彼らの耳に届くわけもない。残念だが、性格の違いと割り切るしかない。

だから私はこう言いたい。

ブログのプロフィール欄に大学名を書いている学生たち、君たちは何も悪くない。犯罪でも反道徳的行為でもないのだから、他人から何を言われようと気にするな。せっかく難しい試験を通ったのだ、ブランドを利用して何が悪い。ブログが縁で恋人だって見つかるかもしれないぞ。

芥川賞なんか簡単に取れる」大いに結構。夢のない生き方しかできない奴らより、よっぽど充実した人生が送れるじゃないか。仮に取れなかったとしても、その努力は決して無駄じゃない。文章力が求められる場面は多い。

素人同士の議論は不毛だということに気づきつつあるので、今回は「気に入らない記事を正面から批判する」のではなく「第三者に向けて書きたいことを書く」という手法を選んでみた。これが身の丈に合ったやり方だと今は思っている。

追記その1

私がふたつの記事に「怒りを覚える」理由は、他人の自由を阻害する傾きが感じられるからだ。公共の福祉に反しているわけでもない行動を「若気の至り」だの「アホ」だの評されるいわれは誰にもない。

追記その2

私は、公共の福祉に反しているわけでもない他人の行動を「若気の至り」だの「アホ」だの評するのは公共の福祉に反することだと思っている。だから、この記事がいわゆる「ブーメラン」に当たるとは思わない。

もちろん私と違う考えの人もいるだろうが、だからといって議論する気はない。「素人同士の議論は不毛だということに気づきつつある」からだ。「他人を批判しておいて言いっぱなしかよ」と思われるかもしれないが、この記事でlstyさんやhashigotanさんを批判した覚えは私にはない。それこそ「過剰な意味を見出し」すぎだ。

私は「ブログのプロフィールに大学名を載せているブロガー」や「芥川賞なんか簡単に取れると日記に書いた作家志望者」がリンク先の記事を読んで恥ずかしさや後ろめたさを感じるのが不憫でたまらない。だから励ましたかっただけだ。伝わる人に伝われば良いので、それ以外の人がどう思おうと関知するところではない。